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伊豆の踊子 (舞台) : ミニ英和和英辞書
伊豆の踊子 (舞台)[だい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まめ]
  1. (n,pref) (1) beans 2. peas 3. (2) (as a prefix) miniature 4. tiny 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [まい]
 【名詞】 1. dancing 2. dance 
舞台 : [ぶたい]
 【名詞】 1. (1) stage (theatre, theater) 2. (2) scene or setting (e.g., of novel, play, etc.) 
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 

伊豆の踊子 (舞台) ( リダイレクト:伊豆の踊子 ) : ウィキペディア日本語版
伊豆の踊子[いずのおどりこ]

伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成短編小説。川端の初期の代表的作品で、19歳の川端が伊豆に旅した時の実体験を元にしている〔『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)〕〔「年譜」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年。改版2003年)〕。孤独や憂鬱な気分から逃れるために伊豆へ一人旅に出た青年が、湯ヶ島天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、彼女との悲しい別れまでが描かれている。
1926年(大正15年)、雑誌『文藝時代』1月号(第3巻第1号)と2月号(第3巻第2号)に「伊豆の踊子」「続伊豆の踊子」として分載された。単行本は翌年1927年(昭和2年)3月に金星堂より刊行された。なお、刊行に際しての校正作業は梶井基次郎がおこなった〔川端康成「『伊豆の踊子』の装幀その他」(文藝時代 1927年5月号に掲載)〕〔『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』(新潮社、1985年)〕。翻訳版はエドワード・G・サイデンステッカー訳(英題:The Izu Dancer)をはじめ、各国で行われている。
日本人に親しまれている名作でもあり〔奥野健男「鮮やかな感覚表現」(文庫版『伊豆の踊子』)(集英社文庫、1977年。改版1993年)〕、今までに6回映画化され、ヒロインである踊子・薫は、田中絹代から吉永小百合山口百恵まで当時のアイドル的な女優が演じている。
== 作品背景 ==
川端康成伊豆に旅したのは、一高入学の翌年1918年(大正7年)の秋で、寮の誰にも告げずに出発した約8日(10月30日から11月7日)の初めての一人旅であった〔川端康成「湯ヶ島での思ひ出」(未定草稿107枚、1922年夏)〕〔川端康成「少年」(人間 1948年5月号-1949年3月号に掲載)〕〔。川端はそこで、岡田文太夫(松沢要)、時田かほる(踊子の兄の本名)率いる旅芸人一行と道連れになり、幼い踊子・加藤たみと出会い、下田港からの帰京の賀茂丸では、蔵前高工(現・東京工大)の受験生・後藤孟と乗り合わせた〔土屋寛『天城路慕情――「伊豆の踊子」のモデルを訪ねて』(新塔社、1978年)〕〔川端香男里「川端康成の青春―未発表資料、書簡、読書帳、『新晴』(二十四枚)による―」(文學界 1979年8月号に掲載)〕〔森晴雄「川端康成 略年譜」(『別冊太陽 川端康成』)(平凡社、2009年)〕〔『実録 川端康成』(読売新聞社、1969年)。長谷川泉編 『川端康成・横光利一集〈日本近代文学大系42〉』(角川書店、1972年7月。1990年9月)に抜粋掲載。〕。踊子の兄とは旅の後も文通があり、「横須賀の甲州屋方 時田かほる」差出人の川端宛て(一高の寄宿舎・南寮4番宛て)の年賀状(大正7年12月31日消印)が現存している〔。なお、踊子・たみのことは、旅から翌年に書かれた川端の処女作『ちよ』(1919年)の中にも部分的に描かれている〔川端康成「ちよ」(校友会雑誌 1919年6月号に掲載)〕。
川端は、旅から約7年後に、『伊豆の踊子』を書いた。川端は自作について、「『伊豆の踊子』はすべて書いた通りであつた。事実そのままで虚構はない。あるとすれば省略だけである」とし〔川端康成「『伊豆の踊子』の作者」(風景 1967年5月 - 1968年11月号に掲載)〕、「私の旅の小説の幼い出発点である」と述べている〔。川端は旅に出た動機については以下のように語っている〔〔。
主人公の青年である川端は、幼少期に身内をほとんど失っており、1歳7か月で父親、2歳7か月で母親、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父が死去し孤児となるという生い立ちがあったため〔、作中に「孤児根性」という言葉が出てくる。また当時、旅芸人河原乞食と蔑まれ、作中にも示されているように物乞いのような身分の賤しいものとみなされていた〔〔橋本治「鑑賞――『恋の垣根』」(文庫版『伊豆の踊子』)(集英社文庫、1977年。改版1993年)〕。
伊豆の旅から4年後の1922年(大正11年)の夏も湯ヶ島に滞在した川端は、踊子たちとの体験や、中学の寄宿舎での下級生との同性愛体験を、『湯ヶ島での思ひ出』という素稿にまとめた〔〔。これは前年の1921年(大正10年)に、伊藤初代本郷区本郷元町のカフェ・エランの元女給)との婚約破談事件で傷ついた川端が、以前自分に無垢な好意や愛情を寄せてくれた懐かしい踊子や小笠原義人を思い出し、失恋の苦しみを癒すためであった〔〔〔川端康成「あとがき」(『川端康成全集第3巻』)(新潮社、1948年)。『川端康成全集第14巻 独影自命・続落花流水』(新潮社、1970年)所収。〕。この原稿用紙107枚の『湯ヶ島での思ひ出』が元となり、『伊豆の踊子』、『少年』(1948年-1949年)へ発展していった〔〔。
川端は最初の伊豆の旅以来、田方郡上狩野村湯ヶ島1656番地にある「湯本館」に1927年(昭和2年)までの約10年間毎年のように滞在するようになったが、1924年(大正13年)に大学を卒業してからの3、4年は、滞在期間が半年あるいは1年以上に長引くこともあった〔川端康成「あとがき」(文庫版『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』)(岩波文庫、1952年。改版2003年)〕。単行本刊行の際の作業をしている頃は、湯ヶ島へ転地療養に来た梶井基次郎に旅館「湯川屋」を紹介し、校正をやってもらっていたという〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊豆の踊子」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Dancing Girl of Izu 」があります。




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